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2011.03.27

平成23年3月11日14時46分

あれから16日だそうです。
まだ平常運行とはいきませんが、原発はまだまだ続くのでとりあえず記憶のあるうちに関連のことをメモしておきたいと思います。

土曜に父の三回忌を控えていたので、前日のこの日は年次有給休暇を取得し、同日午前のうちに仙台の実家についていました。

平成23年3月11日14時46分
法事やお墓参りの買いもののため、私は車の脇に、母は玄関のカギをしめようとしていたそのとき、それはやってきました。

いや、もうよくは覚えていないのですが。
もう道路が波打つようなものすごい揺れで、とても立っていられず座り込んでしまいました。
斜め向かいの家のブロック塀は倒れてるわ、電柱は倒れてもおかしくないほど揺れてるわ、瓦ががらんがらんと道路に落ちてくるわ

これは絶対に通信不能になる!と踏んだ私はまだ揺れてる中、合流予定の夫氏と弟に「無事」メールを発信(14:48のタイムスタンプなので結構スゴイと思う。しかし、残念ながら、このとき、まさか東京も震度5強で大停電してるとはまったく想像しておらず。)。
いやもう、何これずっと揺れんの?おわんないの?と思うくらいの長い長い地震でした。

いったん揺れが収まったあと、ご近所のみなさんがわらわらと外に出てきて、「家はしっちゃかめっちゃかだけど無事」を確認しあい。(テレビがひっくりかえったとか冷蔵庫のドアが開いて中身全部出てダイニングが卵とドレッシングの海とか)

夫氏からは「新幹線止まるかも」とのCメールが。

この時点で、携帯の災害掲示板に「無事です」を登録しましたが、171は繋がらず。

ラジオでは、災害掲示板の利用を勧めていましたが、携帯サイトはほどなく接続しなくなり、通話はもちろん不能でそのうちバッテリー切れ。
公衆電話は無料で使えるということでしたが、実家の近くにある公衆電話はまったく繋がりませんでした。

その後の余震がまた結構強烈で雪の降る中外で余震が落ち着くのを待っていました。
その後、家に入ったとき、母は「水!」と言って蛇口から出てきた茶色い水を張りました。
断水。
停電。
ガスは危険なので試しもしませんでした。

台所の作りつけ食器棚の食器が全部出て結構割れたのと仏間の飾棚の中身が出て結構割れたくらいで、テレビは無事。冷蔵庫も無事。ただし、仏間は割れ物が酷かったのに掃除機がかけられなくて危険なのと、余震の時にすぐ外に出られるように母に「ここはアメリカだから」と言って自宅内を靴のまま往来w
私の部屋の本棚は中身が前にも後ろにも飛び出て出入り口付近にあったため入場不能(苦笑)。2階は軽い家具が多くて結構自由に動いてましたww

ガソリンスタンドの給油待ちであちこちに渋滞が出来ていることは近所の方から聞きましたが、福島で満タンにしていたのでまあいいか、と思っていました。(これは失敗)
ポットにお湯があったこと、冷凍ご飯があったこと、法事の前だったのでお客様用のお菓子などもあったことから当面の食事はいけそうでした。

避難所に指定されている小学校に行ってみましたが暗いのは一緒だったので、これなら自宅の方がいいかと自宅で過ごすことにしました。

情報源は母愛用の携帯ラジオのみ。沿岸に津波が来て「壊滅的」な被害が出ていること、数万人が救助を待っている状況であることを音声情報として得ました。
職場と連絡がつかないままなこと、家族にメールを投げっぱなしであることから車にエンジンをかけ、ラジオを聞きながら携帯を充電しました。

大きな余震が何度もありましたが、無事(これ以上なんかあっちゃたまらんが)翌朝を迎えました。

3/12

新聞を見てものすごい津波の静止画確認。各地の震度を確認。(仙台は震度6強、福島は震度5強との表示:誤報)あまりの震度6の範囲の広さに愕然。こりゃ、当面ここには何も来ないと覚悟。

もちろん引き続き停電&断水。

朝8:30過ぎ。上司から携帯に連絡が入り、自分と家族の無事をようやく報告。

併せて携帯が繋がりにくい状況に改善したことを認知。

何度かのトライで夫氏に電話が繋がり無事を連絡。福島のライフラインがどうなってるか調べて欲しいことを依頼。

弟にも連絡。東京で大停電が起こり電車が運休となり、まだ帰宅中(地震以来自宅に帰ってない)なことを知る。(←夫氏からそのようなことを聞いていたのだが飲みこめていなかったらしい。。。苦笑)

ガソリンスタンドは並んでみたが給油出来ず。

通りがかった親子が並んでる車に「ガソリンなくなったそうですよ」と声をかけてくれました。

この日も引き続き何度も余震。緊急地震速報が何度も鳴りました。

福島の状況はよく分からないが、月曜には出勤しなければなりません。

高速は通行止め、下道を来なければいけないため、渋滞してるものやらよく分からないまま、路面状況が分かるよう日曜の昼に移動することに。

3/13
朝、家の戸締りをして帰福。
下道はスムーズでした。信号は引き続き停電中でしたが、交差点では適当に譲り合いつつ車が進みました。(←ウエシマ作戦?w)道すがらの瓦の建物はダメージが大きく不安は高まるばかり。古い石壁の家は住めないのではと思うほど。
信号は伊達まで真っ暗。

しかし、飯坂を過ぎて信号が点灯。
帰宅した自宅は、スイッチを押すと電気がつき、蛇口をひねると水が出、あろうことかお湯まで出ました。(のちに断水発覚。受水槽の水は月曜になくなり復旧は木曜でした。)

携帯メールは3/11分から十数件の安否確認メールを受信。
テレビを点けるとラジオで聞いていた・新聞でみたその信じられない画像が次から次へと映し出され続けました。大変なことになったのだと思い知りました。

ちなみに自宅もテレビも倒れておらずキャスター付きメタルラックも走っておらず、本棚の手前に置いてた本が落ちたのと多少の皿が割れたのみ。

職場は地震発生以降24時間体制と聞いていたので、徒歩で職場に向かい無事を告げて、福島の震度も6強で、自分が一方的に心配される立場ではなかったことを知りました。

翌日出勤した事務室は、机上のブックシェルフごと書類が床に散乱し、来客用茶器が粉々に割れ書類を踏んで逃げたことが分かるありさまでした。(実際、机上のものがジャンプしまくりばさばさと書類が落ちる中、立ってることも出来ずただただ揺れが収まるのを待ってから逃げたそうです・・・想像しただけで涙)

しかし、それにしても。
未だに平常運転出来ないとは、当時は想像もつかなかったよ。オイラ!

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