氷室冴子さんを偲ぶ会
氷室冴子さんが最後の10年間大変親しくまた頼みにされていた方が「偲ぶ会」を開催してくださるとの情報を得たので、今となっては時々読み返す程度のファンでも行って良いのか散々逡巡しましたが、勇気を出して行って来ました。
情報源は→こちら。
大変素晴らしい思いをさせていただきました。
主催していただいた田中二郎様、ご友人の皆々様に心から感謝いたします。
本当に本当に、ありがとうございました。
来年以降も6月の第1土曜日に偲ぶ会を開催くださるご意向とのこと。併せて感謝いたします。
感想等は(続き)に書きました。長いのでご興味のある方のみどうぞ。
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昨年、亡くなったと知ったときの気持ちは当時の日記が結局一番近いんだろうと思うけど、ホントアラフォーなあたしたちにとって、氷室冴子は当時自分を包んでいた空気とか水とか無機質とかのようなもので、それを吸って体にして成長していたっていう思いがある。
氷室冴子を読んでたっていう過去を持つ自分と読まなかった自分ではたぶんその後の生き方や考え方が違ってたと思うんだよね・・・
結婚しないと豪語してらした先生が仙台のそんなフォーラムに来られるというので、母とふたりで行ってきたこともあったなあ・・・
#「偲ぶ会」でみなさんが話してたとおりマシンガントークだったことは印象にあるんだけど、後は憧れの作家さんが目の前にいる!!という気持ちでガン見してただけで話の内容はあんまり覚えてない。
ただ、正直、コバルトは追ってたけど、経済的な事情で文庫しか買ってないとかいうところもあって、「海がきこえる」を読んでいないとかいう後から来た派閥の人とは相いれない部分もあったりするんだよね・・・
とまあ、自分の思い出はさておきまして偲ぶ会の話。
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ご案内メールで「当日は普段の服装でお越しください」とのこと。
会場は菩提寺だし一周忌法要もされるというのにまったくの普段着でいいのか!という迷いを捨てきれず(というか仕事着のスーツと普段の格好の落差がすごいので・・・)、主催者様のご意向を無視して気取った黒い普段着でお伺いしました。
法要を待つまでの間、氷室先生が使ってらした名入りの原稿用紙を分けていただき、近くの席にいらっしゃったファンの方とお話をさせていただきました。
法要はこの偲ぶ会のために行うものだったそうで、ご住職から生前法名をいただくために先生と京都でお会いしたエピソードなどをお聞かせいただきました。
お墓参り。
田中さんがHPでご紹介されているとおりのお墓がありました。
会場には、氷室先生の一番近い・でも私が存じ上げてる頃から変わらない笑顔でいらっしゃるお写真が飾られていました。
葬儀委員長でもあった菊池秀行先生、コバルト時代を一緒に築かれた新井素子先生、「ライジング!」を共著され、無二の親友でいらした藤田和子先生、そして闘病の時期までご旅行や趣味をともにされたご友人、主催してくださった田中さんが、生前の氷室先生との思い出を少しだけ話して(=思い出を分けて)くださいました。
氷室先生がお使いになってた(コーヒーのシミのあるw)親指シフト用キーボードも会場に持ってきて下さってました。
しかし、正直なところご友人の面子が凄すぎてミーハー気分を抑えきれない部分がありましたよ・・・すいません、すいません。
だって、「真コール!」の(と私は思うが、「シルバー」の、でも気分的には可)藤田和子先生が生きて動いてしゃべってんのよ!!しかも美人!!!
我が家の本棚のG氏部門でえらい幅を利かしてる菊池秀行先生がたった3メーター先でしゃべってんのよ!
「星へ行く船」を書いた、あの新井素子先生がダンナさんとともにそこにいて当時のコバルトの売り方は間違ってるとか言ってんのよ!!!!!!
(・・・息切れ・・・)
お話の内容はどこまで言っていいのかよく分かりませんので書きませんが、
私の感想としては、
氷室先生は、少女小説家という分野を全うされようとしていたんだ、と思いました。
少女の世界そのものが時代とともに変わって来ている中ですごいことをされようとしていたんだと思います。
その志はお亡くなりになるまで持ち続けておられたと思います。
決して絶筆ではなく、長い休筆だったのだ、ということが分かったことが何よりうれしいことでした。
書こうとしていたことのすべてを世に残さずに去ってしまったことはもしかすると心残りだったかもしれませんが、ご自身の病気を知ってから去るまでの間にお時間があったことを思うと、それもまた受け入れて去っていかれたのではないかという気もします。
「倶会一処」
氷室先生のお墓に刻まれている浄土真宗の言葉です。
阿弥陀様のもとにおられる氷室先生とはいつか阿弥陀様のもとでお会いできます。
そのときに続きのことを聞かせていただきたいです。
改めて氷室先生に感謝させていただきます。
(浄土真宗の教えにならいご冥福はお祈りいたしません...)
(09.6.9 wrote;)
***
拙blogにも、「氷室冴子」関連の検索語で来られる方がいらっしゃるようです。
当日のお話やその後のファンの方との交流の中で新たに知ったこともありました。
もし、何かあればコメント欄にひとことお願いいたします。
('09.6.11 追記)
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Comments
はじめまして。氷室冴子さんと検索してこちらにお邪魔しました。貴重な偲ぶ会の様子を垣間見せて頂きました。ありがとうございます。
素敵な偲ぶ会だったのですね。私もいつかお邪魔したいです。お墓にもお参りしたい・・・悼んでおられる皆様の気持ちに触れて、元気になりました。ありがとうございます。
Posted by: ぼの | 2009.06.19 at 12:24 PM
>ぼのさん
拙blogへお出でいただき、またコメントまでいただいてありがとうございます。
氷室先生の小説は少女小説でしたが、決して子ども騙しではありませんでしたね。
偲ぶ会に参加して、思いを新たにさせていただき、また、ぼのさんとの新しい出会いがあって、嬉しいです。
出先からですので、あまり長いコメントが書けません。手がすいた頃、改めてコメントいたします。
ありがとうございました。
Posted by: ゴマ@管理人 | 2009.06.19 at 06:39 PM
氷室先生の作品は、少女小説の枠を超えてましたね。時代検証、考察の上に緻密になりたった作品で、細部が細かく描写され、読んでいてとても読み応えがございました。今でも宝物です♪
偲ぶ会に参加された方がすごくて、思わずミーハーな気分になること、よくわかります(笑)私も目の前にいらっしゃったら、是非お話してみたいですもの(笑)偲ぶ会、ずっと続いていきますといいですね♪
Posted by: ぼの | 2009.06.22 at 10:51 AM
>ぼのさん
ですよねぇ?(^^;>ミーハー気分
#そこからかよ!というツッコミはなしの方向で(^^;;;
偲ぶ会で。
たぶん、新井素子さんのお話だったと思うのですが、氷室先生はコバルトの方針とは本当に合わなくて大変だったみたいです。(まあ、出版社が全体にね・・・有名な週刊少年漫画雑誌の作家さんも同じ時代にはすごい大変だったらしいですし・・・)
新井さんはコスプレしてちらしに載るというのが「小説家の仕事じゃない」と怒っていたそうですが、氷室さんは楽しんで平安装束のコスプレなさってた、とか。
でも、活躍の軸足を常にコバルトに置いてきたのは、少女を対象とする作家でありたかったからと私は思いました。(が、現場でどなたかがおっしゃったことに深く感じ入ったのを自分が思ったと思っているのかもしれません。)
氷室先生は、小説を書くのにまさに寝食を惜しんで熱心に書くので、体力も気力も充実していないと小説は書けないのだそうです。
実際休筆したころにはいろいろな問題があって何もかもが充実した環境というわけではなかったので、新作が出なくなってしまったようでした。
亡くなる3年ほど前に、いよいよ書く環境が出来たというようなことを仰っていたらしいのですが、その頃に癌が分かって、結局、その後、新作は(続き、も)書かれなかった・・・ということのようです。
それにしてもコバルトの低迷と大人向けと言われる小説の質の低下(まさに〝ライト"ノベル)を見るにつけ、本当に氷室先生の死が惜しまれます。
来年の「偲ぶ会」でも新たな出会いがあると嬉しく思います。
Posted by: ゴマ | 2009.06.22 at 10:15 PM
出版社と合わなかったなんて、読者には全然わからないですものね。母娘草をこの度初めて読んで、その中に出版関係の方の、心ない言葉の描写があったのです。すごくがっかりしました。
命を燃やして書く仕事を、そうだと認めない風潮があったのですかね。けっして、そんな人ばかりではなかったと思うのですが、それでも不当な扱いを受けられたであろう、と思うと、悲しくなります。
平安装束のコスプレ 確かその記事は見た覚えがあります。着物がすごく重たいとおっしゃてませんでしたか? そんな裏話があるとは、全然思わずにいました。
今なら、もう少し氷室先生の力になれたかもしれないですね。ネットも充実して、一般の人のコメントも少しは力添えになるだろうし、一方的でない情報のやりとりもできたのではないかと思うと、残念で・・・
コバルトも私が中学・高校と読んでいた時と比べたら、面白いと思うものが少なくなってきたように思います。年と共に好みも多少は変わりますが、それでも物語への吸引力が小さいお話が増えたようで、残念です。
また、面白いなぁ と思った作品は、なぜか急に打ち切りになったりと、コバルトのされることが少しわからないです。どうしちゃったんですかね?
本を開いたとき、一行目からぐいっと引き込んでくれる、氷室先生の作品のような作者の方が、もう少し増えて頂けると嬉しいですね。
Posted by: ぼの | 2009.06.25 at 10:38 AM
>ぼのさん
何度もお越しいただきありがとうございます。
母娘草は、バトルだと聞いて心が痛くて買えなかったんですよね・・・。
出版社の心ない言葉みたいなものはたぶん、いっぱいあって、少しだけ出てしまったのかもしれませんね。
本当に今なら(せめてもう3年書いていてくれていたら)氷室冴子ファンサイトももっと充実していたでしょうし、情報自体も残っていったかもしれませんよね。
時代に文句を言ってもしかたないですが、本当に残念ですね。
Posted by: ゴマ | 2009.06.27 at 06:23 PM
はじめまして。お邪魔させていただきます。
私も多分ゴマさんとほぼ同年代です。
不意に思いついて氷室先生で検索したら、こちらに辿り着きました。
氷室先生が新作を書かれなくなってから、どうしたんだろう? とずっと気になっておりました。
お亡くなりになった後も、実はその思いをずっと引きずっていたので、ゴマさんの文章を読んで、ようやく目の前の霧が晴れたような気がします。
「なんて素敵にジャパネスク」と「シンデレラ迷宮」「シンデレラミステリー」は、何度も引っ越しを繰り返したにもかかわらず、未だ手元に保管してあります。(普遍性のある名作って色褪せないんですよね)
角川のマイ・ディア・ストーリーとして、昔の海外の少女小説が復刊したのも、氷室先生が働きかけてくださったからでした。(実はこのシリーズも頑張ってほとんどコンプリートして保管しております)
彼女に対しては、「楽しい読書の時間を味わわせてくれて本当にありがとう」という感謝の思いで一杯です。
Posted by: ぽんこりん | 2009.12.10 at 01:37 AM
>ぽんこりんさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
私の拙い文章が何かのお役に立ったのなら幸いです。
「氷室冴子 偲ぶ会」で検索すると他の方のblogも出てくるようです。私の思いこみの部分は修正してくださいませ。
銀金の11巻が出て、「少々お休みする。第2部は怒涛のように書くわよ!」みたいなことをあとがきに書かれていて、ずいぶん長いお休みになってしまいました。
当方も、三十路も半ばになるとコバルトコーナーにもだんだん立ち寄らなくなってしまい、、、
そして、「少女小説」という分野も残念ながら広がることなく、、、
氷室先生は、確かに長い充電期間を持たれたわけですが、せっかく書くとお決めになったときに発病されたことが残念でなりません。
銀金の構想だって資料だってあったと思うんですよ。
どなたかそのよすがだけでもご存じなかったのか、という思いはファンとして今でもあります。
もちろん、少女小説という分野で銀金を創られた以上、何らかのハッピーエンドであったとは思うのですが・・・。
私は角川のシリーズには手は出しておりませんが、、、
クララもジャパネスクも銀金も雑居時代も実家に保管中です。
ただ、あの時代の文庫本は紙質が・・・(泣)
裏付けとなる時代背景は変わっているけれど、氷室作品のキャラクターは今も生きていますね!
繰り返しになりますが、氷室作品なくして今の私はあり得ないです。
氷室先生には私も感謝の気持ちでいっぱいです。
ぽんこりんさんとの出会いにも感謝します。
ありがとうございました。
Posted by: ゴマ | 2009.12.12 at 05:42 PM